トラウマと呼吸法|PTSD・HRV研究から考える安全な呼吸法の指導

米国脳神経科学研究者アキ先生の

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トラウマと呼吸法|PTSD・HRV研究から考える安全な呼吸法の指導

トラウマと呼吸法|PTSD・HRV研究から考える安全な呼吸法の指導

呼吸法を指導している最中、クライアントの目が急に虚ろになった。
涙がこぼれ始めた。
あるいは、突然呼吸が止まった——。
呼吸指導の現場では、こうした反応に出会うことがあります。
一般的な呼吸法では、
「体の声を聴いてください」
「身体の内側に注意を向けてください」
といった声かけがよく行われます。
しかし、過去にトラウマを経験した人やPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状を持つ人にとっては、自分の呼吸や身体感覚に意識を向けることが、必ずしも安心につながるとは限りません。
場合によっては、身体感覚への注意が不安や緊張を強めることもあります。
だからこそ、トラウマを抱えた人に呼吸法を届ける際には、「どう呼吸してもらうか」だけでなく、呼吸と自律神経がどのように関係しているのかを理解しておくことが重要です。
今回は、HRV(心拍変動)とPTSD、スロー・ブリージング、トラウマに配慮した身体的アプローチに関する研究から、安全な呼吸法の届け方を考えていきます。

PTSDとHRV—トラウマが自律神経に刻む跡

トラウマは「記憶」の問題であるとともに、「身体」の問題でもあります。
過去に圧倒的な脅威を経験すると、危険が去ったあとも、身体が「まだ危険かもしれない」と警戒を続けることがあります。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)では、こうした状態が自律神経の働きにも影響を与えることが研究されています。

HRVはなぜ低下するのか

自律神経の働きを見る指標の一つとして使われているのが、心拍変動性(HRV:Heart Rate Variability)です。
心臓は、時計のようにまったく同じ間隔で拍動しているわけではありません。

たとえば1分間に60回の心拍であっても、
0.9秒、1.1秒、0.95秒……
というように、一拍ごとの間隔にはわずかな揺らぎがあります。
この揺らぎを解析したものがHRVです。

HRVにはいくつかの指標があり、RMSSDやHF-HRVなどは、とくに副交感神経や迷走神経による心拍の調節と関係する指標として研究されています。

簡単にいうとHRVは、身体がそのときの状況に合わせて、心拍をどの程度柔軟に調節できているかを見るための指標の一つです。

SchneiderとSchwerdtfegerが2020年に『Psychological Medicine』に発表したメタ分析では、PTSD患者のHRVが大規模に検討されました[1]。
その結果、PTSDを持つ人では、健常な人と比べて、RMSSD、HF-HRV、SDNNなど複数のHRV指標が有意に低下していることが示されました。
さらに、この低下は安静時だけでなく、ストレスが加わった場面でも確認されています。
これは、PTSDを持つ人では、自律神経が緊張や警戒の状態から平常時へ切り替わりにくくなっている可能性を示しています。

ただし、HRVが低いからPTSDである、という意味ではありません。

HRVは、年齢、睡眠、運動、呼吸、薬剤など、さまざまな影響を受けます。
それでも、PTSDと自律神経の調節機能との間に関連があることが、複数の研究をまとめたメタ分析で示されている点は重要です。

呼吸法を指導していて「なかなかリラックスできない」「力が抜けない」という人がいたとき、それを本人の性格や努力不足だけで捉えるのではなく、自律神経が切り替わりにくい状態が背景にある可能性も考えておく必要があります。

スロー・ブリージングはPTSDに届くか

HRVを高める方法として、研究が蓄積されているのがスロー・ブリージングです。
スロー・ブリージングとは、毎分6回前後を目安に行う、ゆっくりとした呼吸です。

呼吸でHRVを引き上げる——系統的レビューの知見

Zaccaroらが2018年に『Frontiers in Human Neuroscience』に発表した系統的レビューでは、スロー・ブリージングによって副交感神経の活動が高まり、HRVやRSA(呼吸性洞不整脈)が増加することが報告されています[2]。

RSA(呼吸性洞不整脈)とは、呼吸に合わせて心拍数が自然に変化する現象です。一般的には、息を吸うと心拍が速くなり、吐くと遅くなります。
さらに、アルファ波の増加など、脳の神経活動にも変化がみられることが示されました。
こうした研究から、ゆっくりとした呼吸は、HRVが低下している状態に対して、自律神経の働きを整える一つの方法になる可能性があると考えられます。

ただし、トラウマを抱える人への呼吸法指導では注意も必要です。
「呼吸に意識を向けること」そのものが、過去の体験を思い出すきっかけになる場合があるからです。
そのため、PTSDの症状がある人への呼吸法は、呼吸の方法だけでなく、どのような状況で、どのように行うかにも配慮する必要があります。

トラウマ・インフォームドな身体アプローチの効果

では、トラウマへの配慮を組み込んだ身体的アプローチには、実際に効果があるのでしょうか。

ヨガRCTが示した52%の回復率

van der Kolkらが2014年に『Journal of Clinical Psychiatry』に発表したRCTでは、PTSDを持つ女性64名を対象に、トラウマ・インフォームド・ヨガと女性向け健康教育クラスを比較しました[3]。どちらも週1回・1時間、10週間にわたって行われました。

RCT(無作為化比較試験)とは、参加者をランダムに複数のグループに分け、介入の効果を比較する研究方法です。
治療や介入の効果を調べる際に、よく用いられる研究手法の一つです。
その結果、ヨガ群では52%の人がPTSDの診断基準を満たさなくなったのに対し、対照群では21%にとどまりました
52%対21%という差は、トラウマへの身体的アプローチを考えるうえで注目される結果です。
ヨガには呼吸法も含まれており、自律神経の調整や、身体感覚と安全に関わっていくという点で、呼吸法指導とも共通する部分があります。
ただし、この研究は呼吸法だけの効果を調べたものではありません。
身体の動きや姿勢なども含めたヨガ全体の介入による結果として捉える必要があります。

また重要なのは、この研究が「トラウマ・インフォームド」、つまりトラウマへの配慮を前提として行われていることです。
参加者が自分のペースで関われること、選択肢があること、反応を安全に受け止めてもらえることなどが、介入の土台となっています。

呼吸法単体でも災害後PTSDに効果

Desciloらが2010年に『Acta Psychiatrica Scandinavica』に発表した研究では、スマトラ沖津波の被災者を対象に、呼吸法(Sudarshan Kriya Yoga)の効果が検討されました[4]。
曝露療法との組み合わせも含めて比較した結果、呼吸法を行ったグループでは、PTSDとうつ症状が有意に改善しました。
危機的な体験のあとに、呼吸という身体的な介入がメンタルヘルスの回復に役立つ可能性が示された研究です。
ただし、この研究だけで、すべてのPTSDに同じ呼吸法が有効だと考えることはできません。
トラウマの内容や症状の程度は人によって異なるため、その人の状態に合わせて呼吸法を用いる必要があります。

呼吸は生理学的経路で不安を制御する

呼吸は「気持ちの問題」だけではなく、身体の生理的な変化を通して不安に関わっています。
その一つが、二酸化炭素(CO2)との関係です。

CO2正常化とパニック症状の関係

Meuretらが2010年に『Journal of Consulting and Clinical Psychology』に発表した研究では、パニック障害患者への呼吸訓練を通して、CO2とパニック症状との関係が調べられました[5]。
研究では、呼吸を調整して血中CO2を正常な状態へ近づけることで、パニック症状が軽減することが示されました。
この研究で重要なのは、呼吸が「気持ちを落ち着かせる」という認知的な働きだけではなく、CO2などの生理的な変化を通しても不安に関わっていることです。
自律神経とCO2の関係、呼吸と安心感の関係は、単なる感覚の問題ではなく、身体の中で起こる生理的な変化として考えることができます。

指導者として知っておくべきこと

ここまでの研究から分かることを、実際の呼吸法指導に落とし込んで考えてみましょう。

安全感の確保が最優先

トラウマを持つ人では、自分の身体や呼吸に意識を向けることで、不安や緊張が強くなる場合があります。
そのため、呼吸法を正しく行わせることだけではなく、「自分で選べる」「無理ならやめられる」という環境をつくることが重要です。

指導の場では、次のような工夫が考えられます。

選択肢を与える

「目を閉じてください」ではなく、
「目を閉じても、開けたままでも大丈夫です」
と伝えます。
小さな選択肢でも、自分で決められることが安心につながる場合があります。

ペースを本人に委ねる

「次はこれをやります」と一方的に進めるのではなく、
「この呼吸を続けてみて、何か変だと感じたらいつでも止めて大丈夫です」
と伝えます。
指導者のペースではなく、クライアント自身のペースに合わせることが大切です。

反応を受け止める準備をする

呼吸法の途中で、涙が出たり、呼吸が止まったり、ぼんやりした様子になったりすることがあります。
そのとき、すぐに「トラウマが解放された」と意味づけする必要はありません。
まず呼吸法を止め、本人の状態を確認します。
「少し休みますか」
「続けられそうですか」
など、本人が選べるようにします。
指導者が焦らず、その人が自分のペースを取り戻せるようにすることが大切です

身体に近づきすぎない

「胸の中心に意識を向けて」
「心臓の鼓動を感じて」
といった、身体の内側へ意識を向ける誘導は、通常の呼吸指導では使われることがあります。
しかし、トラウマを持つ人の場合は慎重に行う必要があります。
身体の内側に意識を向けることが負担になる場合には、
鼻先を通る空気、足の裏が床に触れる感覚、肩の動きなど、比較的意識を向けやすい場所から始めることを検討します。
心拍、呼吸、胃腸の動きなど、身体の内側で起きている変化を感じ取る感覚を「内受容感覚」といいます。

自分自身のケアも忘れずに

支援者や指導者は、クライアントの強い感情や身体反応に接することで、精神的な負担を受ける場合があります。
そのため、定期的なスーパービジョン、自分自身の呼吸実践、安全な場で感情を整理することなど、指導者自身のケアも大切です。
クライアントに安全な呼吸法を届けるためには、指導者自身が無理をしないことも必要です。

米国脳神経科学研究者 臨床心理士・公認心理師 アキ先生, PhD

参考文献

[1] Schneider M, Schwerdtfeger A. Autonomic dysfunction in posttraumatic stress disorder indexed by heart rate variability: a meta-analysis. Psychological Medicine. 2020;50(12):1937-1948. doi:10.1017/S003329172000207X

[2] Zaccaro A, Piarulli A, Laurino M, et al. How Breath-Control Can Change Your Life. Frontiers in Human Neuroscience. 2018;12:353. doi:10.3389/fnhum.2018.00353

[3] van der Kolk BA, Stone L, West J, et al. Yoga as an adjunctive treatment for posttraumatic stress disorder. Journal of Clinical Psychiatry. 2014;75(6):e559-e565. doi:10.4088/JCP.13m08561

[4] Descilo T, Vedamurtachar A, Gerbarg PL, et al. Effects of a yoga breath intervention alone and in combination with an exposure therapy for PTSD. Acta Psychiatrica Scandinavica. 2010;121(4):289-300. doi:10.1111/j.1600-0447.2009.01466.x

[5] Meuret AE, Rosenfield D, Seidel A, et al. Respiratory and cognitive mediators of treatment change in panic disorder. Journal of Consulting and Clinical Psychology. 2010;78(5):691-704. doi:10.1037/a0019552

トラウマと呼吸法指導についてのよくある質問

トラウマを持つ人に呼吸法を教えてはいけないのですか?

教えてはいけないわけではありません。
ただし、通常の呼吸法指導と同じ方法が、すべての人に適しているとは限りません。
身体感覚へ注意を向けることが負担になる場合があることを理解し、選択肢を与え、本人のペースで進めることが重要です。
van der Kolkらの研究では、トラウマへの配慮を取り入れたヨガによってPTSD症状の改善が報告されています。[3]

HRVが低いとはどういう状態ですか?

HRV(心拍変動性)は、一拍ごとの心拍間隔に生じる揺らぎを解析したもので、自律神経による心拍の調節を見るための指標の一つです。
PTSDを持つ人では、健常な人と比べて複数のHRV指標が低いことがメタ分析で示されています。[1]
ただし、HRVは年齢、睡眠、運動、呼吸、薬剤などさまざまな要因の影響を受けるため、HRVが低いというだけでPTSDや自律神経の状態を判断することはできません。

スロー・ブリージングはPTSDの人にも有効ですか?

スロー・ブリージングはHRVを高め、副交感神経活動を促進することが系統的レビューで確認されています[2]。
ただし、呼吸に意識を向けることが負担になる人もいます。
PTSDの症状がある人には、まず安全感の確立を優先し、段階的に導入することが重要です。呼吸そのものへの集中が負担になる場合は、鼻先の空気の動きなど、比較的意識を向けやすい感覚から始める方法もあります。

指導中にクライアントが突然涙を流したときはどうすればよいですか?

焦らず、静かに「今ここに居ていい」「安全です」と伝えてください。
呼吸誘導を一時停止し、クライアントが自分のペースで戻ってこられる空間を作ることが最優先です。指導者自身がパニックにならないことが、クライアントへの安全安心のメッセージになります。
トラウマインフォームドは、一朝一夕で身につくものではありません。当アカデミーでは、専門的なトレーニングも実施しています。呼吸法だから、といって軽く見ることなく、責任をもってクライアントの旅をガイドできるように、専門トレーニングを必ず受けた上で呼吸法の指導を実施することを強くお勧めします。
なお、重篤なトラウマ症状が疑われる場合は、メンタルヘルスの専門家と連携することを検討してください。

支援者・指導者自身のメンタルケアはどうすればよいですか?

トラウマを持つ人の支援は、指導者自身にもときに精神的な負荷をかけます。「二次的外傷性ストレス(共感疲労)」と呼ばれるこの状態を防ぐために、自身も定期的な呼吸実践を継続すること、安全な場での感情の整理(スーパービジョンや信頼できる同僚との対話)、そして十分な休息が必要です。クライアントに安全な呼吸法を届けるためには、指導者自身の心身の状態を整えることも必要です。[1][2]

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